|  ホーム |  放送局の紹介 |  番組案内 |  広告案内 |  会員募集 |  ネット放送 |  ニュース |  フォト ギャラリ− | 
リンク集
ログイン
ユーザー名:

パスワード:


パスワード紛失

メインメニュー
  
投稿者 : ゲスト 投稿日時: 2010-08-02 16:39:23 (1989 ヒット)

辺塚(へつか)だいだいジュース料理試食会


日時:平成22年7月30日(金)12時〜


場所:肝付町 内之浦銀河アリーナ2F


主催:肝付町内之浦観光協会


協力:JA鹿児島きもつき内之浦支所、肝付町商工会、肝付町


試食料理内容(1人前)


・辺塚だいだいジュース


・前菜(きゅうりの浅漬け、らっきょう、あじ子の南蛮漬け)


・冷やしソーメン(1わ)


・野菜サラダ(辺塚だいだいドレッシング)


・ケーキ風寿司(6等分)


・カマスの酢味噌


・黒豚の冷やしパスタ(1/3量)


・だいだいラスク


辺塚だいだいとは


肝付町など、鹿児島県大隅半島・南部原産のかんきつ類です。


9月下旬から10月中旬が旬で、果肉・皮とも鮮やかなグリーン色をしており、


酸味・香りがとても強く、カボス・スダチ同様、料理の薬味やポン酢用としての利用が増えています。


辺塚だいだいジュース


辺塚だいだいが持つ気品のある香りを味わっていただくためには、


ジュースが最も適しているという考えに基づき開発されました。


冷やして飲むことによりさらに味わい深いものになります。


さっぱりした後味からスポーツ時や入浴後にも最適です。


 


 


 


 


投稿者 : ゲスト 投稿日時: 2010-07-29 15:37:08 (1207 ヒット)

平成22年度サマーボランティア事前研修


講演:電動車椅子サッカーチーム「ナンチェスターユナイテッド鹿児島」の方々のお話・実技


場所:高山やぶさめ館


日時:7月27日(火)講演時間13:30〜15:30


講演内容は、電動車椅子の話、電動車椅子サッカーについて、病気について、ボランティアについてetc


また、サマーボランティア研修に来ていた高校生が、


実際に電動車椅子に乗り、「ナンチェスターユナイテッド」の皆さんと一緒にサッカーをやりました。


 


投稿者 : ゲスト 投稿日時: 2010-07-27 17:02:14 (1696 ヒット)

  肝付氏の8代目・肝付兼重(きもつきかねしげ)は、南北朝の時代には、南朝として大隅の各地で戦いを繰り広げていました。 


 

 

薩摩に進出してからの肝付兼重(きもつきかねしげ)と

南朝の動き

 

肥後(ひご・今の熊本県)の菊地(きくち)氏が、

1336年、

筑前(ちくぜん・今の福岡県)の多々良浜(たたらはま)の戦いに敗れ、

 肝付、伊東の二氏も日向で敗れ、

 

九州の南朝勢が沈滞しているとき、

 1342年、5月に

懐良(かねよし)親王が薩摩の津(山川)にきて、谷山(たにやま)城に入りました。

*高山の波見に上陸の伝承もあります。

 

 

肝付兼重と

懐良(かねよし)親王

 

懐良(かねよし)親王とは誰だったか?

宮方(みやがた)、つまり天皇側についたのが南朝です。

 

その南朝のリーダー(中心となった人)は、

後醍醐天皇(ごだいごてんのう)でした。

 

その後醍醐(ごだいご)天皇のこどもが、懐良(かねよし)親王です。

1337年

大隅の南朝の中心となった人、肝付兼重(きもつきかねしげ)が

錦(にしき)の御旗(みはた)もらいました。

これは、大隅に来た、後醍醐天皇の子どもからもらっています。

 

誰からもらったのか、いろいろな説がありますが、

懐良(かねよし)親王からもらったという説も残っています。

 

 

薩摩の南朝についた人たち

 

懐良(かねよし)親王

指宿氏、知覧氏、頴娃(えい)氏、矢上氏、鮫島(さめしま)氏、伊集院氏、

なども

南朝に加わり優勢となりました。

 

1342年 6月には

谷山城を攻めた島津氏の5代目・島津貞久(しまづさだひさ)の軍を破り、

貞久の子・師久(もろひさ)、氏久(うじひさ)も負傷しています。

 

 

懐良(かねよし)親王は、

1339年の暮れ、四国を発って、

1342年に九州にきたとされますが、その間の3年間の消息は不明です。

この頃、豊後(ぶんご・今の大分県)、日向、大隅の地

にいたのではないかと考えられます。


投稿者 : ゲスト 投稿日時: 2010-07-23 16:45:35 (1334 ヒット)

第24回 「親と子のふれあい」緑陰読書会


日時:7月23日(金)9時30分〜11時


場所:高山やぶさめ館


肝付町のボランティアグループによる本の読み聞かせがありました。


ふれあい親子読書会、内之浦読書ボランティア、チューリップの会の発表で、大型絵本や仕掛け絵本、手遊び、鹿児島に伝わる昔話、ブラックシアターなどがありました。


参加していた高山保育園、国見保育園、高山小学校などの子どもたちは楽しそうにしていました。 


また、ふれあい親子読書会は、

8月7日(土)に肝付町文化センターで「夏のお話会」があります。


投稿者 : ゲスト 投稿日時: 2010-07-22 17:05:58 (1792 ヒット)

 肝付氏の8代目・肝付兼重(きもつきかねしげ)は、南北朝の時代には、南朝として大隅の各地で戦いを繰り広げていました。 


肝付兼重(きもつきかねしげ)の本拠としていた城がかわりました

高城(たかじょう)から、高山城に移り、薩摩に進出する、 まで 



 1339年 

8月、高城(たかじょう)が落城した後、肝付兼重(きもつきかねしげ)は高山城に入り、

活動の本拠にしました。

→城が移ってからは薩摩に行き、南朝方の援軍として戦ったり・・・ 

 

1340年

8月、肝付兼重(きもつきかねしげ)は中村氏とともに東福寺(とうふくじ)城を奪い取りました。

 肝付兼重(きもつきかねしげ)救援のために高山城から駆けつけ、

島津勢を撃退しました。

 

肝付兼重(きもつきかねしげ)は薩摩に進出する前にあった出来事・・・

 

1339年 5月

島津貞久(しまづさだひさ)、

東福寺(とうふくじ)城を落とす

 

肝付兼重(きもつきかねしげ)と深い関係のある城とは?

東福寺(とうふくじ)城とは、

鹿児島市にあった城だそうです。

鹿児島市・清水町 多賀山公園、東郷平八郎像が近くにあります。

肝付兼重(きもつきかねしげ)と同じく、南朝方だった矢上高純(やがみたかずみ)の城で、一族の中村高純(たかずみ)に守らせていました。

  

東福寺(とうふくじ)城が攻められた理由とは?

 

島津氏は、初め薩摩国の国府に近い出水を拠点としていましたが・・・、

やがて薩摩国、大隅国の双方ににらみの利く鹿児島に拠点を移そうとしました。

そこで問題となったのが、南朝側の矢上氏が鹿児島の重要地点・東福寺(とうふくじ)城に陣取っていたことでした。 

当時矢上氏は、一族の中村高純(たかずみ)に東福寺城を守らせていました。

  

1341年

4月、再び、島津貞久(しまづさだひさ)が攻めてきますが、力が及ばずに、東福寺(とうふくじ)城も落城してしまいました。 

双方に多数の死者が出たと言われるこの合戦で遂に東福寺城は落城し、

これ以後島津氏の拠点となりました。 

 


 


« 1 2 3 (4) 5 6 7 ... 15 »
カレンダー

前月 2017年 9月 翌月

1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

<今日>

FMきもつき携帯サイト
検索
天気予報

資料提供天気予報コム
©特定非営利活動法人きもつきコミュニティ放送