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投稿者 : ゲスト 投稿日時: 2010-08-30 17:18:32 (2272 ヒット)

 


サマーボランティア

大浦キャンプ(1泊2日)

 

8月16・17日(月・火)

 

肝付町 大浦について

 

大浦はどんなところ?

 

場所は、岸良・船間・辺塚集落からさらに南の肝付町の最南端になります。

大浦の集落ですが、入ってすぐに大浦小学校と神社があります。今回天気が良かったためか、学校からは、種子島が確認できました。

 また、さらに奥に行くと、すぐに水田や段々と続く畑が一面に広がり、山すじに沿って家があります。

坂道や下り道、小さな橋の掛かった川や海へと降りれる道もありました。

 そして、大浦には平家の落人(おちうど)伝説も残っています。

現在は、19世帯31人の方が住んでいらっしゃいます。

 

参加者

・学生10人

(中学生4人・高校生6人)

サマーボランティアに参加希望をした学生たちです。

・肝付町社会福祉協議会・スタッフ

・肝付町包括支援センター・スタッフ

・隣人祭り参加者

(大隅地域振興局、豊栄ひっとべ会、鹿屋体育大、の皆さん)

 

サマーボランティアとは?

 

地域の方へ訪問活動

80歳以上の方の自宅へ聞き取りアンケート調査に行きました。

80歳未満の方の自宅へは事前に配ったアンケートを取りに行きました。

地域の方との交流活動

 みんなでカレーや焼きそばを準備し、大浦の人たちを招待しました。

食事会のあと、自己紹介、音楽演奏を聴いたり、ハンヤ節や内之浦音頭を一緒に踊りました。鹿屋や東串良の福祉活動をしている方々が「隣人祭り」ということで交流に来られました。

 

隣人祭りとは?

『隣人祭り』とはフランスが発祥です。

 ご近所の人たちが集まってお茶や食事をすることです。

 「準備がたいへん」「人をおおぜい集めないといけない」など、

 そんな心配をしないで、もっと気軽に集まってみようよ、という活動のことです。

 今回は、その『隣人祭り』が大浦で行われました。

 


投稿者 : ゲスト 投稿日時: 2010-08-26 17:12:19 (1480 ヒット)

私たちの地域づくりと支えあい IN 新富


 

8月18日(水)

9:30〜

肝付町 新富公民館

 

公民館夏休み子ども講座のパン作りがありました。

また、パンを焼いている間、包括支援センター、福祉関係のスタッフと共に、福祉体験が行われました。

 参加は、幼児・小学生・中学生・保護者合わせて31名でした。


 

パン作りでは、

町の食生活改善推進委員の4名の方に教えてもらいながら、4種類のパン(黒糖シナモンロール、ツナマヨパン、こめこめコッペパン、キャロットパン)を作りました。


こめこめコッペパンには、肝付町産のお米を米粉にして使われました。


 

福祉体験では、

実際に車椅子に乗ったり、認知症についての紙芝居(くしゃくしゃ笑顔とやさし(がお)

を鑑賞しました。

また、民生委員さん、振興会長さん、消防団長さんなど、

地域に住む人たちは普段はどんなことをしているのか、知ることができました。


 

 

子どもたちの様子

 

パン作り

作ったパンを食べるときは美味しいという声がたくさん聞けましたが、

作る時もとても一生懸命な声や姿が見られました。

親子で参加している子どもたちはお母さんと一緒にパンの生地をこねたり、丸めたりと

楽しそうにしていました。

作ったことがなかったので家でも挑戦してみたいという感想もありました。

 

福祉体験

車椅子に乗ったことがない子が多かったように思います。

歩くよりも楽だけど、動かすのが大変だったようでした。

紙芝居にも真剣に聞いている様子が見られました。

認知症についてよくわかった、勉強になった、と小学生・中学生の子どもたちの感想が聞けました


投稿者 : ゲスト 投稿日時: 2010-08-12 16:35:12 (1821 ヒット)

 肝付氏の8代目・肝付兼重(きもつきかねしげ)は、南北朝の時代には、南朝として大隅の各地で戦いを繰り広げていました。  

前回のふるさと再発見「肝付兼重の戦い5」からの続きになります。


 


楡井頼仲(にれいよりなか)について


 

・      何をした人なのか?

南朝と北朝に分かれて抗争をしていた時代に、

日向、大隅に姿を現し、肝付兼重(きもつきかねしげ)と共に南朝方として戦っていました

 

・      生まれは?

出生や系図はほとんどわかっていない 

「幻の武将」といわれています

また、加世田の別府城の城主・別府氏と親戚関係があるといわれています

 

・      志布志に来たのがはじまり

志布志に来たのは、

その土地の職をまかされたから、という説があります

 

・      楡井頼仲(にれいよりなか)の父は肝付氏の敵だった?

楡井頼仲(にれいよりなか)の父、頼理(よりまさ)は肝付兼重と戦っています

1336年の12月ごろ 

肝付兼重を攻撃

 

楡井頼仲(にれいよりなか)の父、頼理(よりまさ)は

北朝方の畠山直顕(はたけやまただあき)に属していたため

 

 楡井頼仲(にれいよりなか)が活躍した時期  流れ

 

1348年の6月ごろ

肝付兼重を助け、南朝のために奮闘しました

 

1351年の2月ごろには

島津氏に占領されていた加瀬田城を攻略したこともあったが

また島津氏に奪われています

 

1352年の12月ごろ

根占氏を国見城(南大隅町の根占辺りにあった城)に攻めています

1354年の2月には

南薩の南朝方の援助を受けて一の谷城(鹿屋市 祓川町辺りにあった城)にいたところ、

根占氏から攻撃されて部下に多くの戦死者を出して城は落城

ついで大姶良城も落城

1356年

別の城に立てこもって戦っていた

→胡麻ヶ崎城(ごまがさき じょう 大崎町辺りにあった城)

1357年の1月

北朝方の畠山直顕(はたけやまただあき)は根占氏をこの城に送り、

城を攻撃させました

 

楡井頼仲(にれいよりなか)は

防戦したが、1カ月ほどで城は落ちてしまう

楡井頼仲(にれいよりなか)の弟・頼重(よりしげ)は戦

 

戦いに負けた

楡井頼仲(にれいよりなか)は志布志に戻り、

2月5日に志布志の大慈寺(だいじ じ)で自害しました

57歳でした


投稿者 : ゲスト 投稿日時: 2010-08-10 16:30:57 (3795 ヒット)

肝付氏の8代目・肝付兼重(きもつきかねしげ)は、南北朝の時代には、南朝として大隅の各地で戦いを繰り広げていました。  


前回のふるさと再発見「肝付兼重の戦い4」からの続きになります。


年表と大隅のお城のこと

 

年表

1347年 

11月

懐良(かねよし)親王が鹿児島を出発、

肥後(ひご 今の熊本)へ向かう

1348年

6月

志布志から楡井頼仲(にれいよりなか)が南朝として挙兵

肝付兼重(きもつきかねしげ)と協力して活躍する

1349年

8月

肝付兼重(きもつきかねしげ)が下大隅にて石井氏と戦う

島津貞久(しまづさだひさ)、石井を援助

1350年

4月

肝付兼重(きもつきかねしげ)と楡井頼仲(にれいよりなか)の連合軍が

大隅において優勢

1351年

4月

大姶良城、落城

肝付兼重(きもつきかねしげ)の弟にあたる、

肝付兼成(きもつきかねなり)、戦死

4月

楡井頼仲(にれいよりなか)加瀬田城に入る

6月

根占氏加瀬田城に攻撃

7月

畠山直顕(はたけやまただあき)、楡井方の高隈城を攻める

高隈城、落城

弓張(きゅうちょう)城、落城

8月

根占氏、志布志城にいた楡井頼仲(にれいよりなか)を攻め落とす

楡井頼仲(にれいよりなか)、逃亡する

 

 


加瀬田城 (かせだじょう)

所在地は鹿児島県鹿屋市輝北町

形式は山城 築城者は肝付氏 築城年代は鎌倉時代

加瀬田城は、平房城とも高雲加瀬田城ともよばれ、鎌倉時代の末期に肝付氏によって築かれた。

 1336年に高山城主・肝付兼重が南朝方として挙兵すると、

甥の肝付兼隆(かねたか)がこの城に籠城(立てこもったこと)、

島津貞久の軍に攻められ落城した。

 戦国時代、肝付兼続は天文年間(1532〜1554年)に加瀬田城を奪回して領地を回復した。 1578年、肝付氏滅亡後は島津氏の領する所となり、島津右馬・志比島伊予が在番となった。

 

高隈城 (たかくまじょう)

 所在地は鹿児島県鹿屋市上高隈町

形式は山城 築城者は楡井頼仲 築城年代は正平年間

高隈城は、1334年ごろに楡井頼仲によって築かれた。 1340年ごろに畠山直顕の命により根占清成が高隈城を攻めたが落とすことができなかった。

 戦国時代の1538年に肝付兼続は高隈城を望んだ根占(   )清年にこの城を譲ったが、1583年には肝付氏が奪い返した。

 肝付氏没落後、島津氏重臣伊集院忠棟の持ち城となった。 

その後江戸時代には外城として高隈麓が置かれた。 

 

大姶良城 (おおあいらじょう)

所在地は鹿屋市大姶良町

築城者は富山義明 築城年は鎌倉初期 歴代城主は富山、楡井、根占、

島津、肝付

 1340年ごろ、大姶良は楡井・根占氏の争奪の中心地となったが、一時島津氏久が在城した。1530年、肝付兼興が勢力を盛り返し、次の兼続の時には完全に肝付氏の支配下となった。

 

 

弓張(きゅうちょう)城

所在地は鹿児島県肝属郡肝付町新富の城山

形式は山城 築城者は楡井頼仲 築城年代は南北朝時代

弓張城は、南北朝時代に楡井頼仲によって築かれた。 

頼仲は、高山城主・肝付兼重に与して活躍し、1357年に志布志で自刃するまで弓張を領した。 

その後も高山城の支城として長い間存続した。江戸時代は、山麓に外城の高山麓が置かれた。

 


投稿者 : ゲスト 投稿日時: 2010-08-06 15:48:55 (2670 ヒット)

辺塚(へつか)だいだいジュース料理試食会


日時:平成22年7月30日(金)12時〜


場所:肝付町 内之浦銀河アリーナ2F


主催:肝付町内之浦観光協会


協力:JA鹿児島きもつき内之浦支所、肝付町商工会、肝付町

 


辺塚だいだい商品の開発について


肝付町内之浦・観光協会会長・岡野貢さんより


 Q.試食会の目的について


肝付町内之浦観光協会では、海の幸を主体にしてきましたが、これからは地元の特産品を作って商品開発をしたいと考えました。


内之浦は・ポンカン・タンカンの販売網はありますが、「辺塚だいだい」がいまひとつという形になっています。


そこで、「辺塚だいだい」の商品価値を高めようと、観光協会とJA(農協)とタイアップしながら取り組んでいこうと考えています。。


 また、「辺塚だいだいジュース」を使って、


加工グループと連携しながら、具体的な加工品の商品作り(お菓子、めんつゆ、パンなど)も進めていきたいと考えています。


Q.試食をしてみてどう感じましたか


辺塚だいだいの原液ではなくて「辺塚だいだいジュース」を使っているので、


ほとんど調味料を使うことなく、甘みがあり、さぅぱりした味わいの料理に仕上がっていた印象でした。


Q.PR方法について


今回は土台を作ったところでしたので、


今後は商品化をしながら地元のイベントを活用し、


「辺塚だいだいの町」として観光協会が主体となってPRしていきたいです。


 


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